狂気に満ちて、何かに没頭する。そんなときが人生の中であってもいいと思う。いや、そんなときが自分にも欲しい。と思った。
自分ではなく誰かのため。そう思っていたほうが正気を保っていられるし、力を出せるのかもしれない。
映画「ひゃくえむ。」を観た。
公開から2ヶ月が経とうとしていて、もうレイトショーぐらいしか上映していなかった。わざわざ夜更かしして観に行くか悩んだが、観にきてよかった。
気持ちが引き締まった。
静かに熱いストーリーだったし、そんな熱さに自分を重ねて観た。
トガシの順風満帆には行かない人生、浮いたり沈んだりしながらなんとか浮き上がろうともがく日々は、今の自分にもよーく覚えがある。
人生を狂気的なほどその100メートルにかかる小宮の姿は、休日出かけた先で夜通し仕事の勉強をする自分に重なった。狂気に満ちて没頭したいとか書いたが、客観的に見て自分もすでに狂気的なのかもしれない。
また、「誰かのため」を自分の走る理由にしたトガシと、「1番になる(自分のため)」を理由にした小宮が社会人になって久々に対峙するシーン、なんだかトガシが輝いて見えた。あくまで物語だからそう見せられているのだろうけど、最近「同期を支えるため」仕事で成長しようと決意した自分には、こうなりたいと輝いて見えたのかもしれない。
なんにせよ、上映終了23:50で終電を逃してまで、観てよかったと思える映画だった。
時刻は00:28、多摩川沿いの土手を歩きながら。



コメント